2005年、日本は夏、ニュージーランドは冬。
僕ははじめて垣根のぶどう畑を見ました@ニュージーランド。こういうの日本にも、三陸にも欲しいなと。それが今の僕のはじまりです。
この年の3月、僕は都内の会社を辞め、ワーキングホリデー制度をつかってニュージーランドに行きました。初めての海外、英語もできないのに何かを探しに。見つかればラッキー、でも実際見つけちゃいましたけどね。
この時は農業で食いつなぎながら現地の人たちと共に生活していました。りんご園、ぶどう畑、かぼちゃ、アスパラ、枝豆などなど、まさかりんご園やぶどう畑を運営することになるとは思っていなかったのですが、当時のことを思い出しながら、日本となぜ違うのかを考えながら今の農業にいかしています。
僕が住んでいたHavelock Northという小さな町の周辺にはワイナリーや牧場がたくさんありました。その街に一つだけあるバックパッカーズを偶然通りかかったところからここでの4ヶ月の生活がはじまりました。
そこに住んでいたのはオーナーのニール、地元の人。60代。テリーおじいちゃん70代。ロンドンで金融関係の仕事をしてきて、老後をここで過ごしている。家族はクライストチャーチやイギリスにいるらしい。ブライアン50代、ブッチャー(地元のスーパーの肉屋さん)。台湾人のおばちゃん50代、刑務所に努めている人。この人たちはもう何年もここで生活していて、アパートみたいな感じになっていました。
そこに入った日本人二人。釣り竿を貸してもらって釣りに行ったり、肉屋から肉を持ってきてくれてBBQしたり、一緒にゴルフに行ったりととても居心地が良かった事を覚えています。
ここにいたらダメになるなと、4ヶ月でオークランドに戻り、そこで車を盗まれ、日本に帰る決断をしました。たくさん迷惑をかけたけど、あれがなければ今僕は東京でダラダラ働いていたのかなと、少なくとも今のワイナリーはないと思います。